今回は、中国から伝わった造本装幀の歴史についてご紹介します。
中国では唐末期に印刷時代に入ると書物の装丁が規格化され、装丁は「巻子装(かんすそう)」に始まり、「胡蝶装」から「包背装」、「線装」へと変遷をたどりました。
書や絵画を横長に表装し、軸に巻き取る形に仕立てたものを「巻子装(かんすそう)」と言います。中国南北朝時代に画巻の形式が成立、日本には飛鳥時代に伝わりました。日本の表具は経巻(経文を書いた巻物)を装幀することによって始まり、巻物は日本の表具の起源であると言われています。
巻子本を開いたり読んだりしやすいように、一定の幅で縦に折りたたんで蛇腹状に広がるようにし、表と裏に厚手の表表紙と裏表紙をつけたものを折本と言います。唐では経文や道教経文で使われていたことから、「経帖」と呼ばれました。
中国古代の装丁芸術「龍鱗装(りゅうりんそう)」の歴史は、今から1000年以上前の唐時代(618年-907年)まで遡ります。王族や読み書きができる上流階級の家庭で代々伝わった龍鱗装の書籍は書物全体が龍に似て、各ページが龍の鱗に見えることから「龍鱗装」と呼ばれるようになりました。
胡蝶装は、「折られた料紙の内側の面にあたる頁は水平まで開けるが、糊で貼り合わせた各料紙の外側にあたる頁は、頁の背に近い部分が糊代の分だけ貼り合わさっていて開かない。これを蝶が羽を広げた様子に見立てて胡蝶装の名がある。」(杉浦克己著『書誌学・古文書学』)などと説明されているように、開いてみると蝶が羽を広げた姿に似ているところからこの呼称があります。胡蝶装は、中国宋時代の代表的な装丁といわれ、日本では平安から室町の各時代を通じて広く普及しました。空海筆『三十帖冊子』は、この装丁による日本に現存する最古のものとして有名です。
中国では、山折りした紙の端を背に糊付けしたものを「包背装」と呼びます。胡蝶装は谷折りしたのどを背に糊付けするので、ちょうど真逆のつけ方ということになります。包背装は元代から使われ、日本では明代初めに大半の製本に用いられ標準的な製本形態になりました。
線装は古代の製本技術の最終形態です。古代人は右から左に読んでいたため、綴じは通常本の右側にあり、ページをめくることは便利です。書籍の全体が糸でつながれているように見えることから、「糸綴じ」とも呼ばれました。線装は中国における伝統的な冊子形態の進化の最終段階で、包背装よりも一般的になりました。
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